この前、フリースクールのスタッフをしているということを書いた。今回は、ではそもそもフリースクールとは何か、ということについて述べたい。
フリースクールについて、予備知識のない人に簡潔に説明するのは難しい。そこで、時間がないとき、面倒くさいときは、「不登校の子どものための学校」という説明で済ませている。
8月23日の「ふたつの問題系」では「登校拒否=不登校の子どもの出現を追いかけるようにして、80年代半ば頃から各地にフリースクールが設立されるようになった。」と書いた。日本のフリースクールが、不登校の増加と密接に関係していることは否定できない。じっさい、わがフリースクールは今まで受け入れてきた子どもたちの多くが不登校の経験者だ。ほかのフリースクールでも同様だろう。
それにもかかわらず、「不登校の子どものための学校」という説明は正確ではない。わがフリースクールは、「フリースクールは不登校の子どもの受け皿ではありません。」と一貫して主張してきた。フリースクールは子どもの自治にもとづいた主体的な学びの場であり、大人が命令して子どもを動かす公教育に対するオルタナティブである、というのがわたしたちの考えだ。学校で傷ついた不登校の子どもたちの癒しの場ではない、公教育の下請けにはならない、ということだ。このような考え方は、なにもわがフリースクールに特有のものではない。前述のように日本のフリースクールは、東京シューレを嚆矢として、80年代半ば頃から各地に現れてきたが、多くのフリースクールの共通認識であろうと思う。
ところで、わたしは10年以上前からフリースクールのスタッフをしているが、10年前と今とでは、フリースクールを説明する難しさの内容が少し違う。10年前には、フリースクールという言葉はまだまだ一般に知られていなかった。同僚のスタッフは「無料の学校」という意味かと勘違いされたことがあるという。今では逆に、フリースクールという言葉がたいへん広く使われるようになったため、かえって事態がややこしくなってしまった感がある。90年代後半頃から、不登校の子どもの学校復帰や高校進学のために勉強を教える学習塾のようなところや、さらには教育委員会が設置する不登校対策の施設までがフリースクールを名乗りはじめたのだ。
別にフリースクールは家元制でもなければ登録商標でもないので誰が名乗ろうが勝手だが、こうした「フリースクール」は、わたしたちのような旧来からのフリースクールとは全く別物だ。わたしたちのフリースクールは多くの不登校の子どもたちを受け入れているが、不登校対策のためにあるわけではないし、ましてや不登校の子どもたちを公教育に戻すことを前提にしてはいない。繰り返しになるが、フリースクールは不登校の子どもの受け皿ではない、ということだ。
ただ、この点についてのわたしの考え方は数年前から微妙に変わりはじめている。次回はそのことを話したい。
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