2005年08月10日

風刺と差別

 先日、アッテンボローさんという方から、以下のようなコメントを頂きました。

 (前略)ところで少しだけ気になったことがあります。「バカ」などの言葉を時々使われるのですが、「障害者」差別に繋がるので使用は極力控えられては如何でしょうか。中核派の中でも警察や右翼との口ゲバの時に使っていたのですが、「障害者」解放戦線から問題提起がありました。私自身内なる差別意識を払拭はしきれていませんが、出来る限り注意するようにしています。

 今日はこの問題について考えてみたいと思います。
 まず第一に確認しておきたいことは、ある文章・表現が差別にあたるかどうかを判断するにあたっては、単語より文脈が重要である、ということです。例えば、公衆トイレに「○山×子はエタだ」と書いてあったら、これはまぎれもなく差別以外のなにものでもありません。一方で被差別部落に関する研究書などにも「穢多」「非人」といった言葉が使われています。こういった言葉を避けては被差別部落の歴史を語ることはできないからです。この場合、もちろん差別には当たりません。それどころか被差別部落に関する研究の多くは、部落差別に反対する立場からなされています。つまり、ある言葉を使うかどうかということだけでは差別かどうかは判断できないし、するべきではない、ということです。おそらくアッテンボローさんもこの点を重々承知したうえでのコメントだと思いますので、このことを読者の皆さんと確認し、次に進みたいとおもいます。
 さて、では主観的に差別の意図さえなければ、いかなる表現でも許されるのでしょうか?わたしたちの社会のあちこちで行なわれている差別がおおむね打ち破られた後ならば、そう言えるかもしれません。しかし、現実に差別で苦しんでいる人がいる社会では、そうもいきません。長年部落差別に苦しめられてきた人のなかには、たとえ研究書の中であっても「穢多」という言葉を目にするのもつらい、という人もいるでしょう。トラウマです。
 ただ、それを言うなら、「鉛筆」という言葉がトラウマになっている人もいるかもしれませんし、「時計」という言葉を聞くだけで吐き気を催す人がいないとも限りません。言葉ではありませんが、JR尼崎事故の生存者の人たちは、宝塚線の快速車両を見るだけでつらい、という話です。ですから、このことは気にしだしたらキリがないことではあります。ただ、キリはありませんが、どう考えても「鉛筆」よりは「穢多」という言葉の方が圧倒的に多くの人を苦しめていることは間違いありません。ですから、いわゆる「差別語」は必要な場合以外は使わないのが無難です。
 さて、ここからが本題です。わたくし労働者Lは強きをくじき弱きを助ける論陣を張るためにこのブログを開設しました。ですから、「バカ」とか「アカども」「野蛮人ども」という言葉を使っているからといって、別に知恵遅れの人たちや共産主義者などを差別しようとしているわけではありません。アッテンボローさんもそのことは分かっていらっしゃることと思います。
 それなら前述のごとく、差別する気がないなら、「差別語」は使わないのが無難です。じっさい一般商業紙や「赤旗」「前進」などはそうしています。わたしもそれに倣ったらいいわけです。しかしここにひとつの問題があります。わたしは基本的に左派的なスタンスで(ただし自分の頭で考えて)社会の様々な出来事を論評していきたい、と思っていますが、しかしただの論評なら、わたしのブログよりも「赤旗」や「前進」やその他の左派メディアをご覧いただけばよいわけです。言うまでもありませんが、情報の量も厚みも桁違いです。
 それでも敢えてわたしがこのブログを開設したのは、わたし独自の考えで左派の「常識」にとらわれない論評をするとともに、辛口の風刺・皮肉を展開したかったからです。どのような風刺や皮肉を面白いと感じるか、笑いのツボは人によりけりでしょうが、おそらく風刺というものは人間の弱さ、汚さ、矛盾をえぐり出すところにポイントがあるように思います。いうまでもなくそのような弱さは支配階級の人間にも被支配階級の人間にもあるわけですが、わたしとしては支配階級に照準をあわせて辛口の皮肉をとばすことによって、ともすれば硬直しがちな左派系の言論を笑いで活性化したいわけです。例えば「右翼の人たちは慰霊碑を傷つけるのが正しいことなのかどうかよく考えてほしい」と正攻法でいくかわりに、「右翼のバカ」とあえて突き放すことによって彼(ら)の想像力のなさを糾弾しているわけです。「アラブ人を差別するな」と言うかわりに「アラブの野蛮人どもが…」と支配階級の薄汚い内面を忖度してあえて裏返しの表現をするわけです。
 もちろん風刺のためならどんな汚い言葉でも使ってやろう、などとは思っていません。はっきりと基準があるわけではありませんが、やはりあまりひどい言葉を使うことはためらわれます。もとよりできる限り被差別者の味方になりたいと思っている労働者Lですから、同士撃ちを極力避けつつ資本家階級との効果的なゲリラ戦を闘っていきたいと思っています。アッテンボローさん、これで答えになっているでしょうか?ご助言、ご叱正をお待ちしております。

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posted by 労働者L at 06:59| Comment(3) | TrackBack(1) | 人権 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 真摯なお返事を頂戴しまして有り難うございます。もとより差別的意図で使っておられるのではないことは分かっていましたが、言い換えることが出来る限りは使わない方がよいとの考えです。実は私自身差別用語は使いませんでしたが、部落差別であるとして自己批判した経験があります。差別と闘う立場にあっても内なる差別意識を完全に払拭することの難しさを痛感しています。
 今後とも資本家や右翼に対する辛口の批判を楽しみにしております。
Posted by アッテンボロー at 2005年08月10日 18:23
 真摯なお返事有り難うございます。もとより差別的意図で使っておられるのでは無い事は重々承知でしたが、今回の記事で労働者Lさんも書かれている様にどの様な文脈の中で言葉が使われているかによって差別になる場合と差別語を使っても差別にならない場合とが有ります。実際私自身差別用語は一切使わない発言が差別の現実を知らぬまま発言した事で差別と受け止められ、自己批判した事が有ります。
 記事を書いた人、発言した人の意図に関わらず、受け手にとってどうであったのかが問われる点で非常に難しい事だと思います。
 今後ともお互いに助言し合う事で少しでも高見に登れる様、共に進みましょう。
 労働者Lさんのユーモアの中に辛辣な批判が有る文章は、くそまじめな人間の多い左翼の間では貴重な才能だと思います。これからも楽しく読めて敵をぐさりと刺し貫く文章を楽しみにしております。
Posted by アッテンボロー at 2005年08月10日 20:49
 アッテンボローさん、暖かい励ましの言葉をありがとうございます。いやそれにしてもおちゃらけた文章なら滔々と流れ出してくるんですが、マジメな文章を書くのは苦手なわたしっていったい…。
Posted by 労働者L at 2005年08月11日 18:34
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