ことの発端は2000年にさかのぼる。この年、大阪府高槻市で短大を運営している平安女学院が、滋賀県守山市に新たに四年制の平安女学院大学を設置した。その際、「大学を核としたまちづくり」を掲げて平安女学院を誘致した守山市から25億円の補助金を受けた。ちなみに25億円は守山市の年間予算のなんと27%にあたる巨額のカネだ。また滋賀県も8億円を援助した。しかし、平安女学院大学は大幅な入学定員割れが続き、05年3月に守山から撤退、高槻のキャンパスに統合された。守山キャンパス開設からわずか5年のことであった。これに多額の補助金を支出した守山市が反発し、平安女学院に対して補助金の返還を要求、事態が紛糾するに至った。
また、それとは別に、守山市立守山女子高校も定員割れが続き、平安女学院に散財した市当局に財政上の厄介者扱いされていた。
ここに現れたのが立命館だ。守山市や平安女学院と水面下の交渉を重ねた末に、5月に守山市と「守山女子高等学校の移管にかかる覚書」を交わした。
その大筋の内容はこうだ。まず平安女学院は守山市からの補助金返済を勘弁してもらう代わりに守山キャンパスを無償で守山市に譲渡する。滋賀県からの補助金は守山市が立て替える。立命館は守山女子高の運営を引き継ぎ、「立命館守山高校」を開設する。立命館守山高校のために守山市は平安女学院から譲渡されたキャンパスを提供する。立命館は現在の守山女子高の敷地を更地にして守山市に返還する。
三者の利害が込み入った話だがご理解いただけただろうか?弱小私学の平安女学院は競争激化の中、新キャンパスで四年制大学を設置する勝負に出たがあえなく敗退。巨額の補助金の返還を迫られたが無い袖は振れず困っていたところに立命館の提案に飛びついて守山キャンパスを手放した。
一方、守山市は平安女学院の撤退でメンツを潰された上に巨額の補助金が戻ってくる目途も立たず途方にくれていたところへ、平安女学院のキャンパスをくれるなら守山女子高の面倒を見てやろう、という立命館のセールストークに乗ってきた。
さらに立命館はというと、総長自らが「『張子の虎』と評されつつある」と懸念するほどの性急な拡大路線をとっている。例えば、88年に国際関係学部、94年に草津市にびわこ・くさつキャンパス、同年に政策科学部、2000年に立命館アジア太平洋大学、04年に情報理工学部を新設している。そうした拡大路線の一環として、大学入学者を安定的に確保するために定員の2割を付属高校からの内部進学で固める目標を掲げている。そのためには付属高校を増やさなければならない。だから、もともと大学のキャンパスだった充実した真新しい校舎をタダ同然で入手できるならばこんなにオイシイ話はない。しかも守山は立命館大学の草津のキャンパスにほど近い好立地だ。立命館守山高校は理数系中心のカリキュラムを組むそうだが、これは草津の理工系学部への学生の流し込みを図ってのことだ。
三者三様のぶざまな、あるいはしたたかな損得勘定があるわけだが、この一連の騒ぎで直接の影響を受ける守山女子高校や平安女学院大学の生徒・学生や教職員、さらに巨額の補助金を負担させられた守山市民に事前に相談があったわけではない。すべては秘密裏に決められたことだ。
これに反発が起きないはずはない。平安女学院大学の「守山キャンパスの存続を守ろうの会」という学生団体は移転反対の裁判闘争をいまも続けている。守山女子高の生徒会・PTA・教職員組合でも反対運動が起きた。守山市議会でも問題になった。
だが、これで話は終わらない。覚書でも明かされなかった重大な事実がこのあと露見することになる。
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